謎解きのユーザーエクスペリエンスを考える

ただ謎解きを作るだけで満足できる方は読まないでください。このエッセイは、謎解きを作った後、他人がそれをどう楽しむか、について考えたお話です。

※本記事は特定の他人の制作物について批評するものではありません。単に私自身への戒めとしての文章です。

序文 拙作をリリースしました

拙作ですが、初めてのweb謎解き、Make it white をリリースしました。

私のことを以前から知っている人は「なんで突然謎解き?」みたいなことを思ったと思うのですが、私個人的にはこれはずいぶん長いこと温めていたアイデアの一つで、単にそれを実現する技術力が手に入ったことと、公開するプラットフォームが整った(≒自分のウェブサイトを好き勝手いじれるようになった)ことが大きいです。まだアイデア自体は結構生きているので、いい感じにまとまり次第、次回作以降も出していきたいと思っています。

もうプレイしていただいた方はお分かりかと思いますが(まだの方はとりあえずリンク先から謎解きのページを開くだけ開いてみてください)、どこから手を付けていいかがわからない、まるで説明のない初期画面に困惑した方もいるかと思います。とはいえこれは何も特殊なことではなく、界隈ではこの手の謎を「ブラックボックス謎」とか、あるいは初めてこのタイプの謎を公開した方の名前から「わんど謎」とか呼ぶそうです。17 tiles や 6_23 などで知っている方も多いのではないでしょうか。最近だとSICKS_MONSTERS No.1 九尾なんかがこれに当たるでしょうか。

これを見てちょっといじって、難しい、とか、無理だ、と思った人はぶっちゃけ少なくないと思います。デバッグ時にも普段この手の謎をあまりやらない知人にお願いしたら、早々に心が折れそうという感想をいただきました(逆に慣れている人はサクッと解きそうだなとも思うのですが、そういう方はそういうもんなんやなと思って読んでください)。

ですが、この謎は簡単な英語を解する人であれば、本当に誰にでも解けます。ただ、タイトルと、右下のクリアボタンさえ読めれば(あとまあトランプのJQKの序列さえ分かっていれば)、それで十分なのです。

ストーリー仕立ての謎解きを美しくする

実のところ、ごく簡単なものであれば、単発の謎自体は割と誰にでも作れるものだと思います。難しいのは、「まとまった謎をデザインする」こと。

まとまった謎というと、ストーリー仕立てになっているものが多いです。こういうストーリーがあって、先に進むにはこの謎を解かなきゃいけないんだ!のような形式の謎解きは結構ありますし、それ自体は読んでいて楽しいものです。

ですが、やたらと細かいところに気が付いてしまうタチの人は一定数いるもので、そういう人はどうしても立ち止まってしまうのです。

「なんでこの話の流れで急に謎を解かなきゃいけないんだ?」と。

普通じゃありえないところに急に謎が出てくる不自然さが気になって眠れないタイプの人は必ずいます。もちろんそんなことを言ったらほとんどのストーリー謎は成立しませんし、ゲームと現実を区別しろって100万回殴りたくなりますが、あの唐突さがどうしても謎解きに没入している人間を現実に引き戻してしまう瞬間があると思うのです。

デザインを疎かにしているか、作問とデザイナーが分離していると、謎とストーリーの繋がりがどうしてもちぐはぐになってしまいます。個別には意味のない謎を無理やりパッチワークで継ぎ接ぎしたような気持ち悪さを感じてしまうのです。

いくつかの謎解きはその点も非常にうまくコントロールしていて、感心したのをよく覚えています。共通しているのは、そういう視点で意識しながら見ると、明らかに作問者とデザイナーが協働している(か稀に同一人物である)、とわかることです。引っ掛かりがなくスラスラと読める謎だと、こういった気持ち悪さとは無縁のまま、気持ちよく解き進められます。

「必要以上に難しい謎」の問題点

作問者は自分の作った謎解きで悩んでもらいたいのが人情です。ですが難易度を必要以上に上げて、ただの自己満足で終わってしまっては意味がありません。本当にただ作ってみたかっただけで誰にも解かれなくて構わないのでもなければ、「作者がやりたかっただけシリーズ」にはならないようにする必要はあるでしょう。

難しい前提知識を要求する謎は奇問と変わりない、と思います。時間をかけて小謎を山ほど解いた末、いざ相見えた最終問題で「この名言を言った偉人は誰でしょう?」って聞かれているような理不尽さは、解決した時のすっきり感を著しく損なうのです。世界史に詳しくなければググるしかありません。もっと極端な場合だと、それを知っている前提でしか解けない謎が、一切の文脈無しに出てくる。これでは知識のない人は門前払い、一生かかっても解けません。これでは出口に到るまでの難易度を上げているのではなく、入口の門を狭めているだけです。そんなもんはエリート同士で勝手にやっていれば良いだろ、って言われてしまいます。

難易度を上げるために余計なストレスをかけるのもまた得策ではないと思います。これは実際 Make it white のデバッグ時にあったことなのですが、当初、カードの消し方の手順を、手数を制限することで厳しく縛っていました(カードが消えること自体はちょっと触ればすぐわかると思うので、これはネタバレの範囲には入らないということにします)。ですが、手順を限定するというのはこの謎解きの本質的な部分には一切関係がなく、「ただ不必要に算数パズルを難しくしてストレスを与えているだけ」という結論になったため、削り落としてしまいました。これは謎の複雑性と謎そのものの難易度を安易に結びつけてしまうと、こういうことが起こるんだな、という気付きでした。

このようなことは製作者とデバッグ作業者が同じグループに属していた(または同一だった)場合に表面化しがちだと思います。謎を作った人間からすると、どこにどんなヒントや伏線を張っているかは既知の情報なので、実際の難易度よりはるかに簡単に見えてしまいます。また、似たような発想を持っている人間が集まっているグループだとあまりにも常識的なので引っかかりようがない部分が、グループに属さない人にとっては全く当たり前のことではないので実は難しかった、ということも起きます。それでもうちょっと歯ごたえを増そうとして不必要な複雑性を組み込んでしまったりするのです(現に私はやりました)。

「チェーホフの銃」は謎解きでも撃たれなければならない

チェーホフの銃とは、以下の文言に代表される小説の表現技法のひとつです。

物語の中に拳銃が出てきたなら、それは発射されなければならない。

要するに、「必然性のない要素は盛り込むべきではない」という教示です。

謎解きや脱出ゲームで言うと、序盤で解いた小謎が全部伏線として大謎で回収される、のような形でしばしば銃が撃たれています。あの全回収っぷりへの感動は、間違いなく良いユーザーエクスペリエンスのひとつでしょう。

逆に言うと、回収されなかった小謎はそこにある必然性がないので無駄である、ということもできます。数合わせにしか使われていない謎があるなら、それはおそらく除かれるべきです。もっと言うと、ある特定の言葉を答えとして出させるためだけの小謎は、本来その形式である必要がないため、もっと意味のある形で代替可能なはずです。これを実践するのはすごく難しいですし、全てをそんな完璧な構造にすることはさすがに不可能なレベルの話なのですが、デザインの腕の見せ所でしょう。

同じことは謎以外の部分にも言えます。ここにこの文章があるのは必然なのか、ここはこの色でなくてはならないのか、などなど……。謎解きは隠された文脈を読み解くことが重要であるが故、不要なミスリードを生む文脈はそこに存在していない方が良いと思います。関係のない部分に引っ掛かってそこを深読みしてしまい、結果として解けなかった、となると、それは制作側にも少なからず責任があると思います。単に目の付け所に当たりハズレがあって、それを区別する手段がないのでは、ある種のくじ引きになってしまうためです。

正直なところ、今回制作した謎も、この部分には若干の問題を抱えているような気がしています。一切の説明を排したため、捉えようによって色々な読み方ができてしまう可能性を孕んでいます。もっともそれについては同ジャンルの謎の多くが似たようなものなので仕方のないことなのかもしれません。

どうせ作るなら、人の心を打つ美しいものを。なんか面白いもの作ろう、謎解きを作ろうと思い立つたびに、急く心を抑えつつ、このことをよく噛み締めたいなと思うばかりです。