夢で空を飛べたら

もしも空を飛べたなら、あなたはその力をどんなことに使うだろう? 陳腐な質問だが、そう頻繁に聞かれることでもなかろうと思う。

まだ知らない世界の絶景を旅したい。事故を恐れずに高所からバンジージャンプがしたい。ディズニーランドの夜景を上空から満喫しつつ、幸せそうな人々を眺めたい。あるいは単に歩くのが面倒な時、軽い気持ちで飛んで行きたい。様々な夢があるだろう。

突拍子もない考えか、想像力豊かな子供が考えそうな与太話と思われがちな話ではある。実は私は、この夢を叶えたことが幾度となくある。

こう言うと急に身を乗り出す人もいるだろうが、手の内を明かすと、夢の中での話だ。夢とは言ってもかなり現実味を伴ったもので、はっきりと「今見ているのは夢だ」とわかっている、いわゆる明晰夢である。こうなるとこっちのもので、目が覚めない限りはその能力を好き勝手振るうことができる。

どの夢から叶えようか、さぞ楽しかろうと思われるだろうが ― 悲しいかな、それはどれも選ぶ自由があっての話だ。宙を舞うシチュエーションには、必ず何かしらの代償が伴っている。

最も頻繁にあるシチュエーションだと、何者かにひたすら追いかけられている状況にある。

このような場合の飛び方というのは鳥のように自由ではない。フィクションにやたらとリアリティを求めたがるのは現実でも夢でも同じ自分の性で、地面から一定の高さまでしか浮けないことになっている。それゆえ極めて低空飛行で、パルクールの心得があるような人なら飛ばずとも乗り越えられそうな建物の窓から窓、階段の駆け下り、ダストシュートへ飛び込んだり物陰へ逃げ込んだり、そういった一側一挙動をわざわざ目まぐるしく飛び回ってこなす羽目になる。どうせ夢なのだからさっさと捕まってしまえば良いものを、空を飛べるおかげである程度の機動性が確保されており、まあまあ生き永らえてしまう。

そして何より追ってくる側の「能力」は、自分をはるかに凌駕していることが多い。軍隊でも従えているのではと見紛うほどの物量、スピード、そしてそこまでするかという圧倒的殺傷能力まで備わっている。さながらリアル鬼ごっこである。

いくら空を飛べたとて、こういった夢が楽しいことはない。夢だと気が付いた頃にはもう満身創痍なのだ。ひどい疲労感で楽しむ余裕などないのである。

自分の意志で飛んでいないパターンというのもある。外部の何者かの手によって、不随意的に空中浮遊させられるのがそれだ。目覚めてみれば生身の体は明らかに布団の上に横たわっているのに、どうやってその感覚を呼び起こしているのだろうと思わないこともない。

ひとたび浮いてしまったら、人はどうやって自分の体を制御すればよいのだろうか。泳ぐように手を動かせば動けるだろうと考えるのは自然だが、立証したことはあるだろうか? いざぶっつけ本番で浮かされてみて、それで動けなかった場合は? 周囲に手の届くものがなかったら、その場でふわふわと浮いたまま一生動けないままなのではないだろうか?

このパターンで最近かなりの恐怖を感じた夢がある。どういうわけか車通りの多い真夜中の国道のど真ん中で宙吊りにされている。大型トラックなんかが通れば死は免れない。浮いている意味などほとんどなさそうに思えるが、改めて考えてみると地面に手も足がつかないというのがこれほど不安になることもない。

今までこんな話を他人と共有したことは終ぞなかったのだが、それは突き詰めると結局のところ「あなた疲れてるのよ」という結論に行きつくのが目に見えているからだ。私は占いにはあまり明るくないが、追われる夢はどこの夢占いをあたっても現実で何かに追われているストレスや焦燥感の表れであるとされるし、入眠前や睡眠中の突然の落下感にはジャーキングというれっきとした名前がついており、これも過度な疲れや緊張感が原因であるとされている。

堂々巡りになってしまうようだが、せめて夢の中で空を飛べたら。それこそ解放感の表れ、ストレスや疲労との決別である。訓練すればある程度狙った夢を見られるようになるそうだが、残念ながら私はまだその境地には達していない。そうしてある日たまたま見た夢でやっと空を飛べたと思うと、また得体のしれない何者かが私を捕らえにやってくる。そして私は獲物である些細な浮揚感を頼りに、再び目が覚めるまで逃げ惑う羽目になるのである。

何の代償も背負わず、自由に空を飛びたい。有史以来の人類の夢は、夢の中でも未だ夢のままだ。


自由に空を飛ぶ夢、見たことはありますか? 夢にまつわるエピソード、お聞かせください。